木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

父母の恩重きこと天の極まり無きが如し

 毎年、誕生月に年一回の定期健診を実施していますが、先日その結果が届きました。今年も全て正常であり、問題なし。各臓器の機能が問題なく正常に仂いてくれていることに感謝いたしました。これからも大切に使わせていただきます。日頃から食生活に気をくばってくれている妻にも、結果を見せ、安心してもらうと同時に感謝の気持ちを伝えました。さらに感謝の気持ちを伝えたのが、いまは亡き両親に対してです。六十三年間、大病や大ケガをすることなく、幸せな毎日を送ることができているこの体を産んでいただき、心を育てていただいた両親に心から「ありがとうございます」と手を合わせました。

 お釈迦様が説かれた教えの中に、父母の恩の大きさや重たさを説いた「父母恩重経ぶもおんじゅうきょう 」という教えがあります。これを自分の誕生日と父、母の命日に唱えていますが「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」の句のところで自分を産み育てていただいた父母、とくに、母親のことを思い出し、胸にこみ上げてくるものがあり、時に涙することもあります。「父母恩重経」の中でお釈迦様は、父母に十種の恩徳ありとして、詳しくその恩徳をあげていますが、その恩徳一つ一つに対して、自分にあてはめて父母から受けた恩徳を思い出してみました。

今回は、そのうち「懐胎守護かいたいしゅご の恩」と「為造悪業いぞうあくごう の恩」について述べてみたいと思います。

 私は、父四十八才、母四十五才の時、双子の弟としてこの世に生を受けました。母四十五才は、超高齢出産です。しかも二人。母は私達の妊娠を知った時、大きな不安であったと思います。そして自分の身もかえりみずよく出産を決意していただいたものだと深くその恩徳に感謝しています。それから 十月十日とつきとおか 、自分の摂る食物や栄養は、私達に全て摂取されてしまったのだろうと思います。
家業の都合で朝一時から夜八時位まで働いていた母を思うと自分の体を犠牲にしながら出産を迎えてくれたのでしょう。私の幸せの原点は、ここにあったと言えます。

 次が「為造悪業の恩」。母と一緒に車で母親の実家に行く途中、スピード違反でパトカーから停止を求められた際、母親は、車からすぐに降り、警察官に対して「私が悪いのです。私が急がせたものですから。子供は悪くありません。」と私のやったことをかばい罪を一身に受けようとしてくれました。母親の恩徳の深いことを知りました。
 私が健康であること。また幸せであること。すべてのはじまりは、私をこの世に生み出し、育てていただいた父母の恩あってのことです。父母の恩徳を感じずにはいれません。

 
 

2014年11月 第286号より

芳野 栄

 
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