木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

逆らわない生きかた

 私の学んでいる素心学では、「素直さ」とは「逆らわない生きかた」でつぎのふたつの状態をいいますとして
(1) 人の言うことを「はい、わかりました」と聞き入れることができる。
(2) 困ったことが起きても、「起こるべくして起こった。ありがとうございます」と受け止めることができる
と学んでいます。
 逆らわない生きかたを学ぶときに、頭の中にイメージしていることがあります。それは、川の流れの中にうき輪を浮かべ、そのうき輪に全身を委ね、流れに身をまかせている状態です。無理がなく、変化を受け入れながら流れに身をまかせるのです。とてもたのしくおだやかな心でその流れをたのしみ、移りゆく風景を味わうことができます。
 一方、川の流れに逆らうと流れに流されまいとして、必死になって泳ぎ、周囲に目を配る余裕もありません。風景を味わう余裕すらありません。目の前の流れとのたたかいだけです。そして最後には力つき、流れの中に巻き込まれてしまいます。
 目に見えないけれども日常生活の中にも「流れ」というものがあるように思います。
一つに「私達は皆で仲よく、調和をとりながら幸せに暮らす」という流れがあるように思います。私達は一人では決して生きていけません。多くの人々の支えによって生かされているということがわかります。
 自分の思いや考えだけを通そうとするのではなく、周囲の人と調和はかりながら仲よく暮らしていくことが流れに逆らわない生き方だと思います。また、生まれながらに与えられた天分(特性)というものを自分のためだけでなく、世のため人のために生かし、周囲の人々を幸せにしていこうとすることも流れに逆らわない生き方であると思います。反対に自分の損得だけを考えたり、自分の都合を優先させようという考え方をすることは、流れに逆らった生き方をすることになると思います。その他、人に対して怒ったり、愚痴を言ったり、悪口を言ったり、感謝の気持ちを忘れたり、人を悪く思ったり、人を恨んだり、嫉んだりすることなども、「皆が仲良く、調和をとりながら幸せに暮らす」ということからはずれ、生きる上で流れに逆っているということになると思います。
 つまり、調和を乱し、周囲の人に対する思いやりに欠けた行動は、流れに逆らった生き方であり、慎まなければならないと思います。
 心が素直でないと、これらのこと認識していながらも知らず知らずのうちに流れに逆らった生き方をしてしまいます。日頃から素直さを身につける努力をする一方、一つ一つの行動について、逆らった生き方や行動となっていないか、流れにそった行動となっているか振り返り反省をしていくことが大切だと思います。
 
2012年12月 第263号より
芳野 栄
 
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