木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

心のチリを払う

 

 木輪の朝の清掃活動は、お店の周辺をきれいにすることと、“心を磨く”という目的があります。心を磨く場合、心を取り出して磨けばよいのですが、心というものがどこにあるのかわかりませんし、またそれを取り出すことができません。そこで心を身の回わりやお店の周辺に置き換え、そこをきれいにすることや、そこを磨くことで“心を磨く”ことになると考えております。

 先日、お店の周辺の道端を無心になって清掃していると、ほうきの先の道端の部分が、光輝いているように感じることがありました。夜明け前のまだ暗いうちなので、そこだけが明るく照らされることもありません。しかし、光輝いているように感じるのです。何故かなと考えていると、「あっそうか」と一つの考えがひらめきました。光輝いているのは、掃いている道端のところではなく、掃いている自分の心ではないかということです。道端を無心でゴミやチリ一つなく、徹底して掃き、きれいにすることできれいになっているのは、道端と同じように自分の心もゴミやチリ一つない状態になっているのだと思いました。掃いているところが光輝いて見えるのは、自分の心の投影なんだと思いました。

 ところで掃除をすると、工場で生産する商品の品質が向上したり、不良品が少なくなるという話をうかがったことがあります。木輪でも、商品の焼き焦がしやちょっとした不注意で商品を取り落したりと不良品があとを絶ちません。スタッフ全員そのようなミスを減らすために、いろいろな工夫や対策を立てて、実行してもらっているにもかかわらずです。

 今回の気づきで、木輪の現状を次のように考えることができました。清掃に集中できず、徹底しできていない為に、心も磨かれないのだと思いました。つまり集中力の欠如に原因があると思いました。大きなゴミは、清掃中に見落すこともなく処理できていますが、よく目をこらさないと見落しそうな小さなゴミやチリは、清掃に集中しないと残してしまいます。つまり、大きな失敗はないが、小さなミスが、集中力の欠如から心にある小さいゴミやチリが落ちてくるのと同じように、表面に表れてくるということです。小さなミスや不良品を減らすには、いつも心のゴミやチリをゼロにしておくことが大切だと思いました。そのためにも清掃の時、目の前にあるゴミやチリを皆無にしておかなければなりません。清掃に集中し無心になることで、そのことは可能だと思いました。

 このようなことに気づいて以来、これまでの清掃に比べてより集中し無心に励むことができるようになりました。スタッフ一人ひとりが、清掃を通して集中力を養い、心が磨かれるに従ってちょっとしたミスや不良品の数が減少してくるのではないかと期待しております。

 
2012年5月 第256号より
芳野 栄
 
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