木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

自己を知り、自己を正す

 

 私の学んでいます「素心学」の中心をなす言葉の一つに、「自己を知り、自己を正す」という言葉があります。その意味するところは、「自分に欠けているところを知り、そこを正していく」ということです。

 素心学塾塾長の池田繁美先生からは、「とかく私達は、人の欠点を指摘し、そこを正させようとします。そうではなく、自分の欠けているところを知り、そこを正していきましょう」と教えられています。人を変えるのではなく、自分を変えていきましょうということでしょう。

 私の場合、自分に欠けていると思うところがあるにもかかわらず、年齢的なことや経営者ということから、他から指摘されないことをいいことに、いつの間にか「自己を知り、自己を正す」ということに対して不充分であることに気づきました。反対に、家族や社員のいたらなさを指摘し、相手を正そうとしていることがあるように思います。
 さらに次のようなことも教わりました。自分の周囲に未熟な人がいる場合、どのようにつき合うかということについて、私はやはり上から目線でそのような人に対しては、未熟なところを正すように指導するという風に考えていました。また、そのような未熟な人とは付き合わないという考え方もあるように思っていました。しかし、先生からは、素心学を学ぶ塾生は、「一隅を照らす」精神を掲げ、未熟な人との係わりをもち、素心学によってその未熟さに気づかせていくことが肝要です。なお教えるという立場でなく、共に学び共に成長していく姿勢をくずさぬことという指導を受けました。

 未熟な人とつき合う前に、私自身が未熟であることに気づきました。人間としての未熟さがあると、どうしても周囲の人に対して知らず知らずのうちに不快さを与えてしまいます。不快さを与えるということは、周囲の人に対して思いやりに欠けることになります。

 そこで私は、自分の未熟さを正すために「社会人としての日常の心がけ」に、これまで以上に真剣に取り組もうと思いました。「社会人としての日常の心がけ」には、21項目ありますが、その一つ一つについて、自分では70点ぐらいはできているのではと思っていましたが、そのように思うところがすでに謙虚さに欠けるところです。さらに高いレベルをめざそうとする努力や工夫をする姿勢にも欠けていることがわかりました。

 人の欠点を指摘して相手を正していくことには限界があります。またそれでは相手は変わりません。反対に、自分の欠けているところを知り、そこを正していくことに限りはありません。常に謙虚に自分の言動を省みて、いまの言動で不快さを与えなかったか、今日一日、周囲の人に不快さを与えなかったか振り返ってみることが、私にとってとても大切です。自分に欠けているところを知り、そこを正していく日々でありたいと思います。

 
2011年11月 第250号より
芳野 栄
 
戻る