木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 
無事に過ごせた日に感謝
 
 私は毎日一日の終わりに次のように「感謝の言葉」を述べるようにしています。
  「きょう一日、無事に過ごすことができました。無事に過ごせた日が最良の日です。よいことを望むのは、欲深いことです。ありがとうございました。」

池田繁美先生から、素心学(素直な心の行動学)を学ばせていただいておりますが、素心学で言うところの感謝の対象は、「今、ここにあること」に感謝するということです。

 最近、この「感謝の言葉」の意味合いを深く実感することがありました。一つ目は、木輪の元社員を病院にお見舞で訪ねた時です。彼女は、癌を患い、一生懸命癌と毎日闘っていました。その彼女の口から発せられた言葉が私の心にズシンと響きました。「朝目覚め、まだ命があることを知り感謝のあまり手を合わせます。また、今日一日、過ごせたことがとても有り難くうれしいのです。感謝しても感謝しきれません。今日一日、また今日一日と生かされ、ここにあることに感謝する日々です。」と、とても重い言葉でした。彼女にとって、よいことを望むなんてとても欲深いことで、何事もないことこそが最大に感謝すべきことだと、私に身をもって教えていただきました。その元社員は、治療の甲斐なく、三月十七日静かに息を引きとりました。

 二つ目は、先の東北・関東大震災の時です。一瞬にして家屋はじめ全てが失われました。不幸にして命までも奪われた方が多数いらっしゃいました。地震発生の一時間前位までは、今回の状況を予想する人はなく、平和で明るく、何事もない幸せな生活を送っていらっしゃっていたと思うと、今回のことが信じられず、ウソのように思われます。中には、今日一日何事もなく無事に過ごせるよう、朝祈られた方もいらっしゃるのではないでしょうか。一日何事もなく、無事に終えることができる事って何と有り難いことだろうと深く実感できました。また被災者の皆様の中には、住む家を失い、ライフラインはストップし、食べ物や着るものさえ充分でなく、外部との連絡もままならず不自由な毎日を送られています。

  二つの事例から改めて、「何事もないことが本当に有り難いことだ」「何事もなく無事に過ごせた日が最良の日なんだ」「今、ここにある命に対して感謝しなければ」という思いを改めて強くした次第です。

  先の震災で被害に遭われた方々に対し、一日も早い復興に向け、私にできる小さな実践を続けていきたいと考えております。
 
2011年4月 第243号より
芳野 栄
 
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