木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

師を求め学ぶ姿

 

私の通っている勉強会( 耕心塾 こうしんじゅく ・池田繁美先生主宰)に、この四月から二人の塾生が遠路より参加されています。お一人は静岡から、もうお一人は沖縄からです。毎月、第二火曜日の午後六時三〇分から午後九時までの二時間半の学びのために、五時間〜六時間かけて来られているのです。往復に費やす時間はその倍です。又、費用の方も新幹線や飛行機の利用となり、さらに一泊の費用も、となると決して安いものではありません。そこまでしても、師にお会いし、 じか に学びたいという熱意、情熱と覚悟の大きさには頭が下がります。

以前、池田繁美先生から「 面授 めんじゅ 」という言葉を教えていただきました。その かた の書かれた書物を読むことで学ぶ方法もありますが、実際にお会いし、お話したり、表情や語調や立ち居振舞いやその かた の持つ雰囲気などを通して学ぶということです。遠く静岡や沖縄で池田繁美先生の書かれた、 素心学 そしんがく に関する本を読まれて学ぶに加え、実際にお会いし、学びを本物にしようとなされています。師のもとで学びたいという強い思いは、きっと一気に距離を縮めてしまうのでしょう。私のように先生のお膝もとにいる塾生は、先生が身近にいらっしゃるというありがたみを、もっと真剣に受けとめる必要があるようです。

お二人の師を求め、学ばれる姿は、昔の師弟関係を思い出させてくれます。遠くにいる我が師と仰ぐ人物を、何日もかかって歩き尋ね、弟子入りをお願いし、師の講話を熱心に記録し、与えられた書物を時間をかけて書き写し、生活を通して学びを深めていったようです。まさに、「 刻苦勉励 こっくべんれい 」という言葉通りの学びの姿です。以前読んだことのある本(天命の人−小説 中江藤樹 なかえとうじゅ )に重なってきます。岡山藩に仕えていた 熊沢蕃山 くまざわばんざん 近江聖人 おおみせいじん と言われる 中江藤樹 なかえとうじゅ という師を求め、何度も何度も弟子入りを希望し尋ねますが、断わられ続けます。やっとのことで弟子入りを許されますと、八ヶ月間という短い期間の間にめざましい学びをし、 中江藤樹 なかえとうじゅ 亡き後は、その教えを広く伝えるまでに成長していきます。そうした 史実 しじつ と重なってきます。

人生の師を求める。その師から教えを授かる。そのためには、師を敬う心、自らを空しくして師の全てを受け入れようとする素直で謙虚な心がなければならないでしょう。

本気で学ぶ。本腰を入れて学ぶ。主体性を持って積極的に学ぶ。素直に学ぶ。謙虚に学ぶ。

今回のお二人に、そうした私に欠けている学びの姿を教えていただきました。

 

2009年6月 第221号より
芳野 栄

 

 
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