木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

自我を抑え 稚心 ちしん

 

 

「健康で健やかに、明るい人間に育って欲しい。」、「思いやりのある、心優しい人間に育って欲しい。」、「将来は、人の役に立つ人間に育って欲しい。」 生まれたばかりの我が子を抱いた時の親の願いは、このようなものではないでしょうか。親としての子どもに対する本来の願いとは、このように欲のない、単純なものであるはずです。純粋な、汚れを知らない、まっ白な まなこ とまっ黒な ひとみ の我が子を胸に抱き、欲にまみれた願いはできないはずです。

ところが、時がたち、日がたつにつれて、親は、本来もっているはずの純粋な、正しい思いで我が子を見れなくなり、いつものように自我に覆われた、欲のある で見るようになります。子どもの為と称し、そこには、自分の思いを達成したいという思いが、入っていることもわからないまま、子どもに多くのことを押しつけてしまっているのではないでしょうか。

一方、子どもの方も、自我が芽ばえはじめると、自分と他を区別しはじめ、自分の思いや感情を押し通しはじめ、親子の間で意見や考えが合わず自我と自我のぶつかり合いとなっているようです。

また、現在の一部の若いおとうさんやお母さんを見ていて気になることがあります。それは、親としての自覚に欠け、心が未熟ではないかと感じることです。

橋本左内という幕末の志士の書いた「啓発録」という本があります。その本で、一番最初に書かれた言葉は、「 稚心 ちしん る」という言葉です。この言葉を彼は、十五才にして述べています。「 稚心 ちしん 」とは、幼な心、すなわち子どもじみた心で心が未熟なことを言います。具体例として、遊びばかりに熱中し、勉強や仕事をおろそかにしている。おいしい食べ物ばかりを むさぼ り、毎日なまけて安楽なことばかりを追いかけている。人に注意されたり、叱られたりするするのをきらって常に母親の陰にかくれ甘えている。などをあげ、このような心がほんの少しでも残っていたら、何をやっても上達せず、大人物にはなれないと書きのこしています。大人物にはならなくても子どもの親となるには、こうした 稚心 ちしん ることが大切ではないでしょうか。

大きくふくらんだ自我と未熟な心。このような大人のもとでは、子どもはまっ直ぐに正しく育ちにくいでしょう。まず、私達大人が、しっかり身を修め 稚心 ちしん ・・・去 ることで子どもから尊敬される大人になり、しっかりとした家庭教育を施すことが求められていると思います。

 
2008年7月 第210号より
芳野 栄
 
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