木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

人に喜びを与える

 私は、、人から喜びをいただいた時にとっても幸せを感じます。反対に人に喜びを与えることは、その人を幸せにすることに他ならないでしょう。

 最近私は、人を喜ばせることこそ人間にとって、この上もない崇高な行為であると思うようになりました。親として家族に、経営者として社員に、又自分の仕事を通して地域社会の方々に、社会人として世の中の人々のために、喜びを与えていくということが、私に与えられた役割のように感じます。しかも、できるだけ自分の体を動かすことで又、大切な時間を惜しみなく使って喜びを与えることでその思いは、本物となっていくように思います。

家族に対しては、家事手伝いもあるでしょう。社員に対しては、社員の話に丁寧に耳を傾けることや、社員が働きやすい環境づくりをしてあげること、又社員の要望には、すぐに誠心誠意こたえてあげるなどです。お客様に対しては、お客様が「ホッ」とするような店づくりに手間をかけることやまごころのこもったサービスの実施。社会人としては、常に感謝の気持ちで接する等々身近にできる行為は、たくさんあるように思います。

 一方、人を喜ばすことは、自分が幸せになることにもつながっているようです。

 木々のささやき六月号(一九七号)にて木輪の社員の奥様が池で溺れている小学生を救ったお話をご紹介させていただきました。「命をかけて」人を喜ばす。これ以上の行為はありません。先日、その社員の幼い娘さんが頭部の手術をされました。本来ならば二週間位の入院が必要と医者に言われていたにもかかわらず、医者も驚く程の速い回復をみせ、四日間で退院いたしました。きっと命をかけて人の命を救うと言う喜びを与えたご褒美をいただいたのでしょう。きっと家族皆で幸せを感じられたことでしょう。
「積善の家に余慶あり」とは、まさしくこのようなことを言うのでしょう。

 私のこれまでを振り返ってみると、人に喜びを与えることよりも喜びを与えられたことの方がはるかに多いことに気づきます。これからの人生を、これまでのことに感謝しながら周りの方々に喜びを与えることを自らの課題として恩を返していきたいと思います。

 人に喜びを与えることのできる人は多くのことに気づきのある人です。多くのことに気づく人は、幸せな人であるように思います。

 

2007年11月 第202号より

芳野 栄

 
戻る