木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

感謝の気持ちを伝えよう

 

 近年の すさ んだ世相を見るときに、感謝するということが おろそ かにされていたり、感謝する具体的な行為が不充分であったりして、自らの反省を含め感謝するということについて考えさせられます。

 そもそも、感謝するという行為は、人間だけに与えられた崇高な行為だと思います。私達が、この世に生を受けたそのことがすでに感謝の対象であり、毎日何事も無く、無事に一日一日を過ごせていることも感謝の対象であるはずです。毎朝、目が覚めることも大変でありがたいことです。私達の身のまわりには、こうした「ありがたい。感謝しなければ」と思うことが沢山あります。

 そこで、これらの事に気づき、これらの事を「当たり前」と思うか、「ありがたい、感謝しよう」と思うかによって人生は、大きく違ってくるように思われます。これらの基本的な事を「当たり前」と思う人は、傲慢な人であり、不幸への道を自ら選んでいるのではないでしょうか。何が与えられても「当たり前」のことと見過ごし、また、いくら与えられても決して満たされず欲深い人生を送るのでしょう。反対に、些いな事にでも、「ありがたい。感謝しなければ」と思う人は、自分をいつもへりくだることのできる謙虚な人でしょう。「謙虚さ」を身につけた人は、自分自身の人間性を高めることができ、心豊かに幸せな人生を送れそうです。

 また、大切なのは、ありがたいと思う感謝の気持ちを伝えることだと思います。私は、なるだけ、その場、その時に「ありがとうございます」いう言葉で感謝の気持ちを伝えていますが、ハガキや手紙等によって、伝えることも大切にしております。「ありがとうございます」という言葉は、自分を謙虚な気持ちにし、人間関係をこの上もなく良好にしてくれ、幸せを実感できる言葉です。
 
 一日に、事あるごとに、感謝の気持ちを込めて、笑顔で、「ありがとうございます」と頭を下げると、何かしら心が明るくなり、心が軽くなり、勇気がわき、未来が開けてくるように感じます。「ありがとうございます」という言葉に秘められた力というものでしょうか。以前、本紙の「今月の言葉」でご紹介した「幸せだから感謝するのではない、感謝するから幸せになれる」という鍵山秀三郎先生のお言葉の重さを感じます。
 
 些いな事やこれまで「当たり前」と思っていた事にもちょっと立ち止まってありがとうございますと感謝の気持ち、感謝の心を伝えてみませんか。

 

2007年4月 第195号より

芳野 栄

 
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