木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 


  たらい に一滴の水

 以前、本紙の"今月の言葉"の欄に「 たらい に一滴の水」という言葉を書かせていただきました。鍵山秀三郎先生は、その意味を「盥に水一滴を垂らしても見た目に何の変化もありません。しかし、一滴の水は、確実に増えます。たとえ増えたことを確認できなくても、私は努力することにしております」と述べられています。

 その言葉の意味を現実のものとして体験することがありました。
先月の本紙にて、お客様から「プルトップ集めにご協力をお願いします。プルトップ七キログラムで身体障害者用椅子一台と交換できます・・・・。」とのご意見にもとずき木輪でもご協力させていただくことになりました。
多くの方々から、まとまった量のプルトップを戴いたりして日に日にその量は、増えていっています。私も空缶を拾ったり、自分の飲んだ飲料缶のプルトップを取ったりしながらプルトップ集めに協力させていただいておりますが、一つのプルトップの重量は、わずか〇.三グラム程度です。それを七キログラム集めるとなるとその数は、膨大となり大変根気のいるむずかしいことです。

 ある日、一個のプルトップを回収びんに入れました。一個だけ入れても何も音がしません。また、どこに入ったのかもわかりません。その時にに浮かんだのが、「 たらい に一滴の水」の言葉です。一個の重量が軽いだけにゴールをを考えると気が遠くなります。こんな一個ぐらい入れても無駄だと思いたくなります。
しかし、自分の手で一個入れたことは、事実であり、この一個一個の積み重ねを根気よく続けさえすれば、ゴールにたどり着くと思うと、「たかが一個、されど一個」です。一個の重要性が高まります。

 現在の世相からすると、やったことがすぐに結果に結びつかないものは、やっても意味がない又、そんな時間と手間のかかることをやっていては、時代の流れに遅れてしまうと考えられがちですが、一つ一つ積み重ねる以外に結果に結びつかないとしたら、そうした小さな行為は、決して意味がないということはなく、むしろ大変意味深い行為と言えるようです。

 ご協力下さる皆様の一つ一つの善意がやがて多くの方々に大きな喜びを与えることになっていくと思います。私も皆様と共に一つ一つ努力を重ねてまいりたいと思います。

 

2007年1月 第192号より

芳野 栄

 
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