木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

「静かな喜び」を大切にしたい

 喜びには、三つのパターンがあるとよく言われます。一つ目は「もらう喜び。」人から親切にしてもらったり、誕生日にプレゼントをもらったりした時に感じる喜び。二つ目は「できる喜び。」鉄棒で逆上がりができるようになったり、入学試験に合格できた時に感じる喜び。三つ目は「あげる喜び。」丁寧に言えば「してさしあげる喜び。」人を喜ばす為に喜ぶことをしてさしあげることで自分の心が喜ぶ。

 一つ目と二つ目の喜びをその時の喜びの状態の言葉で表わすとすれば、「感激」、「感動」というのが合いそうです。それに対して、三つ目の喜びを表わすとすれば、「心満ち足りた静かな喜び」という言葉が合いそうです。

 「静かな喜び」というのは、「感激」や「感動」といった激しいものでなく、心の奥底から静かに「ジワーッ」と湧き上がってくる何とも言いようのない文字通り 静かな ●●● 喜びです。その心の状態をあえて言葉で表現するとすれば、理由もないのに何故かうれしく、心が軽く、全てを許し、いろいろな問題があったとしても広く受け入れることのできる心になっており、穏やかでやさしい、喜びに満ちあふれた心の状態です。

 最近、スタッフの一人からのメッセージに同じような表現があるのに驚きました。
「今日は何故か、たくさん笑っていたように思います。お客様の楽しそうな顔を見ると、私もうれしくなってきました−中略−自分も楽しむことで、お客様にも楽しさや安心感を伝えやすくなるのではないかと思います。」彼女は、まさに「静かな喜び」を心で感じながら無心に仕事をしていたのだろうと思われます。

 「静かな喜び」で心が充満されていると「人に何かをしてあげたい」、「人を喜ばせてあげたい」、「安心させてあげたい」という気持ちが支配します。思いやりの心で満たされます。

 日常生活の中で、人知れず善行を積んでいくことも「静かな喜び」を感じる上で大切になってくるでしょう。私は別の方法(禅的瞑想や自然の中を無心に歩くこと等)で心に「静かな喜び」を感じそれを心に植え付けようとしていますが、「静かな喜び」が心を支配することで、穏やかでやさしい、思いやりのある心で日々を過ごしたいと強く思っています。

 心が喜ぶような喜び、魂が喜ぶような喜びが、心の底から湧き上がってくる「静かな喜び」であり、この「静かな喜び」を大切にしてまいりたいと思います。

 

 

 

 

2005年11月 第178号より

芳野 栄

 
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