木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

面倒だから、しよう

 ある本に、「面倒だから、しよう」と言う言葉が書かれてありました。そして次のように書かれていました。

 これは、「ああ、面倒くさい」と思ったら、だからこそするのだという考え方です。   
 たとえてみれば、面倒だと思ったらすぐに礼状を書く、挨拶をする、床にこぼした
 水を拭く、トイレットペーパーの新しいロールをつけ替えておく、といった具合にで
 ある。

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 人間が今より少しでも“ましな”人間になりたいならば、自分の肉体の傾向に逆ら
 い、それを克服する精神力、意志の力が必要です。

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 その本を読んだ妻は、今年の夏期休暇の前日、「面倒だから、しよう」にチャレンジしました。

 十六年間の油がコテコテにこびりついた油おとしのバケツと油切りの器具。
毎日少しずつきちっと洗っておけば何の事はないものの、十六年間「面倒だから」と洗うのをためらっていたものです。
妻は暑い中、二時間位、かけてこてこて油のついたものを洗剤や道具を使ってピカピカに磨き上げました。

 自分の心のアカやよごれとこびりついた油を重ね合わせ、自分の心のアカやよごれを落とそうと無心になって格闘しました。無心になって一つの事に集中できた妻は、「やった!!」という達成感が顔全面にあらわれ、とてもすがすがしい表情をしていました。

 妻はその本を読んだ感想として、「面倒なことをした後に味わう“ささやかな幸せ”を味わいながら生きることや、自分が心の中に「よかった」と感じることのでき瞬間をより多く持って生きていくことが大切だと感じた」と述べています。そして掃除が終わったあとは、「十六年間のアカやよごれがとれて私自身の心がきれになったような気がしました。十六年間、見て見ぬふりをし、誰かがするだろうと思っていた自分が恥ずかしく感じた」ということです。

 「面倒なこと」が何故できないかというと、一つには、人間の中にある生来の怠け癖や易きにつこうとする傾向があること。二つ目は、「何も私がしなくても」という他人を意識しての損得勘定からくること、三つ目は、面倒なことをした後に味わう「ささやかな幸せ」をまだ体験していないからと本に書かれていました。掃除が終わったあとの妻は、いつもより一まわり大きく見えました。
 
 
 
 
 

2004年10月 第165号より

芳野 栄

 
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