木々のささやき まごころを贈る パンの木輪 北九州市 八幡西区

 
 
木々のささやき
 

母親の懐の中の思い出

 9月中旬、母親の3回忌の法要がありました。仏前に手を合わせ、生前の恩に感謝の気持ちを伝えました。私は、母親の懐のあたたかさを充分すぎる程感じ、母親と床を1つにしていた時の、何とも言えない心の安らぎを思い出しました。

 現在、世の中は心が荒み、常識では考えられない事件が後を絶ちません。そうした事件を聞くたびに、事件を起こした者とその母親の関係はどうであったのかと考えてしまいます。

 私は子育てに関して母親の存在は父親以上にとても大きいものだと思います。「母なる大地」「母国」「母校」「母屋」と言うように「母」が拠り所となる言葉は多くあります。生まれて成長する過程の中で、自我にめざめていない乳幼児期の間に受けた愛情の大きさによりそれ以後の性格や考え方などが決まってくるように思います。
 
  乳幼児に対して母親が注意を促す必要がある場合に「まだ小さいから言ってもわからないので、もう少し大きくなってわかるようになって注意します。」という言葉をよく耳にします。しかし私は、頭では理解できないでしょうが、乳幼児の持っている純粋な魂には、母親の思い、願い、注意はしっかり届くものと思っております。乳幼児期に一緒に添い寝をして、本を読んで聞かせてあげたり、お話しをしたり、お願いをしたりした事は全部、素直に耳を通して心の中の中心部の魂に到達しているように思います。なぜなら心から安心してとてもおだやかな心の状態で心がいっぱいに開き何事も聞き入れる状態になっているからです。「三つ子の魂百まで」と言われる所以でしょう。

 しかし、現在の母親と呼ばれる人達の中には、私の思う母親とは少し違っている母親もいるようです。大人になりきれていない母親です。自分の気持ちさえうまくコントロールできずにいつもイライラしている母親。他人(自分の子供を含めて)の事より自分の事をいつも優先させてしまう母親。子育て、子供の教育を他人にまかせしまう母親。子供と共に育つチャンスを自ら放棄してしまう母親。等々、いくら昔と現在の価値観が違ってきたからと言っても「子育て」「躾」については変わらないものだと思います。正しい事はどの親も、自らが育った中で体得していると思います。それをめんどうがらずに、自信を持って子供へ素直に伝えていくことが大切なのではないでしょうか。「親になるのは易しいが親であるのはむつかしい」ようです。「育てたように子は育つ」といいます。母親の「愛」はそれ程すばらしい「愛」のはずです。

 母親のサロンパスのにおいいっぱいの懐の中の気持ち良さを思い出した事に端を発し、現在の子供達にそうした懐のあたたかさを思い出すことがあるのかなと、ふと感じました。

 
 
 
 
 

2003年10月 第153号より

芳野 栄

 
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